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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)3053号 判決

原告 岩崎春吉

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 鷲野忠雄

被告 学校法人 宝仙学園

右代表者理事 宮田道教

右訴訟代理人弁護士 浅川秀三

同 菅博

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨(原告ら)

(一)  被告は原告ら各自に対し、それぞれ金一〇〇万円およびこれに対する昭和四三年六月一日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

(三)  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁(被告)

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因(原告ら)

(一)  事故の発生

原告らの三女である訴外岩崎三智子(当時満一五歳)は、被告の経営する私立宝仙学園高等学校(以下本件学園という)第一学年に在学中の昭和四二年五月一九日、同学年生徒二三三名とともに本件学園の主催する埼玉県秩父郡野上町大字長瀞への遠足に参加し、同日正午過ぎ頃、現地において昼食、休憩のため自由解散となったので、級友である訴外榎本千恵子とともに同大字九一三番地先荒川本流付近の岸辺に赴き、水流に沿った水成岩盤上に素足で立ったところ、同日午後零時四〇分頃、榎本が足を滑らせ、その左側に同女と並んで立っていた三智子につかまったため、両名とも水流に落ち込み、榎本は間もなく救助されたが、三智子は、急流に呑まれて、同日午後二時過ぎ頃、水死体となって発見された。

(二)  被告の責任

1 右遠足は、本件学園の教育課目の一環として行なわれ、全生徒の参加が事実上義務づけられていた。

2 したがって、右遠足の企画、立案および実施を担当した本件学園の教職員は、これに参加する生徒の生命、身体に危険が及ばないよう生徒の年令、知能、体力等に応じた適宜の指導監督をする責任があり、殊に本件事故現場付近は、荒川の水流が最も強く、かつ水流に沿って岩ゴケの付着した岩畳が続き、足を滑らせやすく危険な場合とされていたのであるから、このような場所を遠足先に選ぶに当っては、慎重に事前の調査を行ない、危険箇所の有無、程度等を確認したうえ、これを生徒に周知徹底させるとともに、生徒を引卒するに当っては、生徒の動静を十分に把握してその生命、身体に危険が及ばないよう、また、万一生徒が危険な状況に陥ったときは、直ちにこれを発見して迅速かつ適切な救助措置を講じ得るよう特段の配慮をすべき義務がある。

3 しかるに、右遠足の企画、立案を担当した本件学園の教職員は遠足先につき事前の調査を全く行なわず、本件事故現場付近の危険性を十分認識しなかった結果、生徒の引卒を担当した本件学園第一学年主任の訴外吉井森勝および訴外井上淳ほか四名のクラス担任教諭も右の認識を欠き、本件事故現場付近で生徒を解散させるに当って、生徒に対し、僅かに右地点から数百メートル下流の絶壁地帯の危険性を指摘したほかは何ら具体的な注意、指示を与えなかったのみならず、生徒が解散した後は、右引卒者全員が生徒の動静を監視することなく、しかも、生徒に所在を明らかにすることもなしに、右解散場所から徒歩で一〇分余も離れた食堂「荒川荘」に移り、同所で昼食、休憩していたため、生徒の動静を把握できず、水流に落ち込んだ三智子に対し迅速かつ適切な救助措置を取り得なかった。

4 本件事故は、右のとおり、被告の被用者である本件学園の教職員が被告の業務執行として前記遠足を企画、立案、実施するに当り過失があったために発生したものであるから、被告は民法第七一五条にもとづき原告らが本件事故により被った後記各損害を賠償する義務がある。

(三)  損害

1 三智子の逸失利益と原告両名の相続分。各金一八二万九、二七二円

三智子は、本件事故当時満一五歳であったから、本件事故に遭遇しなければなお六〇、六九年間生存し得たものであるところ、三智子が昭和四五年四月高校卒業と同時に満一八歳で就労したとすれば、満六三歳に達するまでの四五年間は稼働可能であり、その間少なくとも高校卒業女子の産業別初任給平均額である一ヶ月金二万八、五〇〇円程度の収入を得たはずであるから、これより生活費としてその二分の一を控除し、さらに年別ホフマン複式計算法により民事法定利率年五分の割合による中間利息を控除すると、三智子が被った逸失利益の損害額は金三六五万八、五四五円となる。

原告両名は三智子の父母として同人の被告に対する右同額の損害賠償請求権を各二分の一宛相続により取得した。

2 原告両名の慰藉料分。各金一〇〇万円

三智子はすこぶる健康で、性格も明朗濶達であり、友人達からは敬愛され、原告らもその将来に大きな期待を懸けていたので、本件事故により同女を失った原告らの精神的苦痛にははかり知れないものがあり、これを金銭で慰藉するとすれば各金一〇〇万円が相当である。

3 損害の補填

原告らは、本件事故に関し、被告から昭和四二年五月二〇日香典として金一〇万円、同月二七日弔慰金として金一〇〇万円の各支払を受け、さらに後日、傷害保険金として金五〇万円および日本安全協会弔慰金として金一〇万円を受領し、それぞれその二分の一を各自の損害賠償金に充当した。

(四)  よって、原告らは、被告に対し、それぞれ金一九七万九、二七二円の損害賠償請求権を有するところ、本訴においては、各内金一〇〇万円およびこれに対する不法行為による損害発生の後である昭和四三年六月一日から支払済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否(被告)

(一)  請求の原因第(一)項のうち、榎本が足を滑らせ、その左側に同女と並んで立っていた三智子につかまったことは不知、その余は認める。

(二)1  請求の原因第(二)項1は認める。

2  同第(二)項2は否認する。

三智子は本件事故当時満一五歳であり、危険についての弁識能力が十分あったから、遠足の企画、立案、実施の担当者に原告ら主張のような義務はない。

3  同第(二)項3のうち、学年主任である訴外吉井および訴外井上ほか四名のクラス担任教諭が生徒の引卒を担当したことは認め、その余は否認する。

吉井教諭らが生徒を解散させるに当り、危険な場所へ近寄らないようにとの注意を与えたにもかかわらず、三智子らは本件事故現場に赴き濡れた岩畳に素足で上ったため、足をとられて水流に落ち込んだものであるから、三智子の死亡は、三智子自身と榎本のうち先に足を滑らせた一方のまたは双方の過失にもとづくものである。

4  同第(二)項4のうち、本件遠足の企画、立案、実施の担当者が被告の被用者であることは認め、その余は争う。

(三)1  請求の原因第(三)項1のうち、原告春吉が三智子の父、同千代子がその母であることは認め、その余は否認する。

2  同第(三)項2は否認する。

3  同第(三)項3の金員支払の事実は認める。

なお、原告らはこのほかに香典として、吉井教諭から金一万円、井上ら四名の教諭から各金五、〇〇〇円宛、生徒一同から合計金一七万円、以上総計金二〇万円を受領した。

三  抗弁(被告)

(一)  和解契約の成立

仮に被告に原告ら主張のような損害賠償の責任があるとしても、原告らは、昭和四二年五月二七日、被告よりすでに同月二〇日香典として支払済の金一〇万円のほかに弔慰金として金一〇〇万円の支払を受けて、被告に対し、本件事故については今後一切異議を述べず、損害賠償等の請求をしない旨を約した。

(二)  過失相殺

仮に右の主張が認められないとしても、三智子には本件事故の発生につき次のような過失があったから、損害額の算定につきこれを斟酌すべきである。

すなわち、三智子は吉井教諭らの注意を無視して本件事故現場に赴き、濡れた岩畳の上に素足で立つという軽卒な行動をとり、また、水流に落ち込んだ後も自己の泳力を過信し、直ちに岸に這い上ろうとしなかったため急流に呑まれたものである。

四  抗弁に対する認否および再抗弁(抗弁第(一)項について)

(原告ら)

(一) 抗弁第(一)項は認め、同第(二)項は否認する。

(二) 本件事故は、榎本が足を水に入れようとして岩畳に足をとられ、その左隣に同女と並んで立っていた三智子につかまったため、両名とも水流に落ち込んだことに起因するものであって三智子には過失がなかったというのが真相であるのに、原告らは、井上教諭らから三智子が先に足を滑らせ隣に居た榎本につかまったため両名とも水流に落ち込んだ旨の説明を受けたため、いわば自分の娘の不注意により榎本をまきぞえにし、延いては引卒者らに迷惑をかけたものと誤信していた結果、被告の和解申込に応じたものであって、仮に、右の誤信がなかったならば、原告らだけでなく一般通常人もこれに応じなかったはずである。

そして、前記和解成立の過程において右の動機が当事者間に表示されていたから、前記和解契約は要素の錯誤により無効である。

五  再抗弁に対する認否および再々抗弁(被告)

(一)  再抗弁事実を否認する。

(二)  仮に前記和解契約の成立につき原告ら主張のような要素の錯誤があったとしても、原告らは本件事故につき事実関係の調査をすることなく、軽卒に前記和解に及んだものであるから、原告らには重大な過失があったというべきであり、したがって錯誤による無効を主張しえない。

六  再々抗弁に対する認否(原告ら)

再々抗弁事実を否認する。

第三証拠≪省略≫

理由

一  原告ら夫婦間の三女である訴外岩崎三智子(当時満一五歳)が昭和四二年五月一九日午後零時四〇分頃、本件学園主催の埼玉県秩父郡野上町大字長瀞への遠足に参加していて、同大字九一三番地先荒川の本流に落ち溺死したこと、右遠足の企画、立案および実施(引卒)は被告の被用者である本件学園教職員が担当したこと、同月二七日被告より原告らに対し、本件事故につき、すでに同月二〇日香典として支払済の金一〇万円のほかに弔慰金として金一〇〇万円が支払われ、原告らと被告間において、原告らは本件事故に対し今後一切異議を述べず、損害賠償等を請求しない旨の和解契約がなされたことはいずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、先ず右の和解契約が原告ら主張のように要素の錯誤により無効であるか否かについて判断する。

≪証拠省略≫を総合すると、原告らは、当初本件事故について岸辺の岩盤上に並んで立っていた三智子の級友の榎本千恵子が先に足を滑らせて水流に落ち、三智子はこれを助けようとして急流に押し流されたものと理解していたこと、ところが、同月二一日三智子の葬儀終了後、訴外井上淳、同吉井森勝両教諭から、「井上が警察官の生徒らに対する取調に立ち会って得た情報によれば、三智子が先に足を滑らせ隣にいた榎本につかまったため両名とも水流に落ち込んだものである」との説明を受けた結果、原告らは、いわば自分の娘の不注意により榎本をまきぞえにしたばかりか、引卒者らにも迷惑をかけたものと考え、むしろ榎本や引卒者らに対し謝罪したいとの気持を懐くに至ったことが認められ、また、≪証拠省略≫によれば、本件事故に関する原告らの右のような理解ないし気持が原告らにおいて前記和解をするかなり重要な動機となったことが窺われないでもない。

しかしながら、本件事故において三智子と榎本のいずれが先に足を滑らせたかについての確定はしばらくおき、仮に本件事故の真相が原告ら主張のとおりであって、前記和解につき、原告らの本件事故に関する前記のような理解ないし気持が動機の錯誤に当るとしても、右の動機が、原告らの主観においてはともかく、三智子と榎本のいずれが先に足を滑らせたかは直ちに、本件学園教職員の過失の成否および被告の責任の有無に影響するものともなし難いから、社会通念上重要な事項にかかわるものといえず、また、原告らと被告間において、三智子が先に足を滑らせたために本件事故が発生したとの事実が当然の前提ないし基礎とされて前記和解契約がなされたことを認めるに足りる証拠はなく、却って≪証拠省略≫を総合すれば、前記和解契約の締結にあたり、契約当事者間においては、三智子が先に足を滑らせたことが当然の前提ないし基礎として予定されていたわけではなかったことが認められる。

したがって、原告らの要素の錯誤の主張は採用できない。

三  以上の次第であるから、その余の点を判断するまでもなく原告らの本訴各請求はいずれも理由がなく棄却を免れない。

よって、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 真船孝允 裁判官 篠清 安倉孝弘)

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